2013年2月12日火曜日

汚名について

 「汚名」という言葉が使われている文章を調べてみる。太宰治「春の盗賊」より
 それやこれやで、私は、私自身、湖畔の或る古城に忍び入る戦慄の悪徳物語を、断念せざるを得なくなった。その古城には、オフェリヤに似た美しい孤独の令嬢もいるのだけれど。いまは一切を語らぬ。いい気になって、れいの調子づいて、微にいり細をうがってどろぼうの体験談など語っていると、人は、どうせあいつのことだ、どろぼうくらいは、やったかも知れぬと、ひそひそ囁き合って、私は、またまた、とんだ汚名を着せられるやも、はかり難い。それゆえ、このような物語は、私が、もう少し偉くなって、私の人格に対する世評があまり悪くなく、せめて私の現在の実生活そのままを言い伝えられるくらいの評判になったとき、そのときには私も、大胆に「私」という主人公を使って、どのような悪徳のモデルをも、お見せしよう。いまは、いけない。悲しいけれども、いけない。
 汚名を着せられるのは嫌だ、といっている。「汚名」によって失われたものを取り戻すのは容易ではないからだ。宮本百合子「家庭裁判」より
 (被告)
 女慧しゅうして牛売りそこね
 (判決)
 こういった諺はみんな男が作ったものなんです、そしてまた女をこんな風にした社会を作ったのも男達なんです、ですけど「女の賢さはほんとうのものじゃない、小ざかしくて失敗や損ばかりする」といった男たちはほんとうに賢かったでしょうか、小慧しい男たちが政治や軍事を自由にし女も含めた国民の大部分がその小慧しさにたぶらかされていたためにとうとう牛どころか戦争に敗ける所まで国を滅茶苦茶にしてしまったんです。
 戦争に敗けて国民が生活の苦しさにあえいでいる時、賢いと自負している男達の中にはまだまだ小慧しい小細工を弄し政治界等に勢力を張ろうと懸命になっているものがありますが、今こそ女の人はほんとうに賢くなり正しく立派な自分達のための代表者を選び出さなくちゃなりませんよ。
 小慧しくよそおった社会的な地位や名声に目を眩まされて牛を売りそこねないよう、諺の汚名をそそぐように勉強しましょう。
 女慧(賢)しゅうして牛売り損ね、とは「女は利口であるように見えても全般を見通すことができないので、事を仕損じがちであるということ」(故事・ことわざ・四字熟語より)のようで、ひどいことわざである。しかし筆者はそれを「男たちがこんな風にした」とはいえ、ことわざそのものを現時点で否定していない。その上で、ことわざの汚れを払っていきましょう、といっている。やはり「汚名」によって失われたものを取り戻すのは容易ではない。坂口安吾「想片」より
 今日雑誌が一口にジアナリズムなる言外に多くの悪徳を暗示した汚名によつて呼ばれる時世となり、文学の本道まで万事浮遊して落付かぬ状態をつづけてゐる時に、一つくらゐジアナリズムに超然とし、正しき流行をつくるとも流行に追はれぬ雑誌が欲しいと思ふ。「作品」がそれだと言ふほど大袈裟にほめるわけにもいかないが、ジアナリズムの悪徳をもたぬことは確かである。落付きがある。
 雑誌は「ジャーナリズム」という汚名を着せられている。そんな言葉に平然としている雑誌が欲しい。これは「失ったものを取り戻す」ではなく、汚名を超えていこうとしている。

 わずか3例ではあるが、共通しているのは「汚名」というのはやっかいなものである、ということだろう。「汚名」というレッテルを取り除くのは簡単なことではない。ところが、一方で、「汚名返上」「名誉挽回」のような言葉はあふれかえっている。Google ニュースなどで検索すると例えば
のような形でひっきりなしに「汚名返上」「名誉挽回」が行われている。私は、このような言葉が軽く使われすぎている、と考えている。例えば「柔道界汚名返上へ」というタイトルがあるが、本人は国際大会で優勝して汚名返上したとは少しも思っていない。「汚名」というレッテルを貼るのは簡単だが、「汚名返上」というレッテルもまた簡単に他人が貼りつけているのである。ニュースであふれている「汚名返上」は、「汚名」のレッテルを返すのではなく、「汚名返上」のレッテルを「汚名」の上に貼り付けて遊んでいるだけである。「名誉挽回」についても同様である。

 そこで「汚名挽回」という言葉について考える。ここでは「汚名挽回」を「汚名によって失われたものを取り戻すこと」とする。

 野球の実況でこの言葉が使われたとする。例えば「満塁のピンチで相手バッターはフライを打った。ところがそのフライを落としてしまった。」となると、その選手は「汚名」を着せられる。「お前はプロか、小学生でもとれるぞ」などひどいことになる。

 しかし最終回になって失敗した選手にチャンスがめぐってきた。そこで見事ホームランを打ってサヨナラ勝ちした。これはまさしく「汚名挽回」となる。一見はそうだが、しかし本人はそう考えていたのだろうか。「汚名挽回」のためにホームランを打ったのだろうか。観ている側が勝手に「汚名挽回」と決め付けているだけではないのか。

 普段のイチロー選手にインタビュアーが「汚名挽回しましたね」と聞いたらおそらく無言であろう。経験則で多くの人が知っている。またそれを知っているから第二回WBC優勝後のイチローの言葉「谷しか無かったですけど、最後に山に登れて良かったです」に驚く。フライを落とした選手も、ホームランを打ってヒーローといわれても、重大なエラーを防ぐにはどうしたらいいか考え、「汚名」を拭い去るための練習を続けていくかもしれない。

 結局「汚名返上」「名誉挽回」「汚名挽回」いずれも簡単なことではない。その意味ではどれでもよい、ということになる。

 ただ「汚名挽回」という言葉にはひとつ気になることがある。それは「汚名によって失われた名誉は挽回するものだ」という考え方である。上司が部下を叱る。「お前にはこの仕事はむいていない、お前が辞めたほうが会社のためになる」などと。叱られた部下は「なにくそ」と奮起して素晴らしい仕事をする。汚名を意図的に着せることによって力を出させるのだ。そして上司はこう言う。「あの時厳しく言ったが、それはお前のためを思って言ったんだ」と。

 このように「汚名挽回」には反骨精神をあおるニュアンスがあるように感じられる。最近は体罰が話題になっているが、その構造に似ている。無言で体に罰を与える人はいない。体罰は「罵声」を効果的にする。罵声によって汚名を着せ、挽回することを要求する。「汚名返上」ならば必ずしもそうはならない。坂口安吾やイチローのように超然とし、粛々と「汚名」をお返しすればよい。

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